そもそも肉体が健全でないと健全な精神が宿らないとしたら、体に障害があったら、精神が健全にはならないということとなり、とんでもない発想であることは現代の常識からはすぐにわかるはずだ。
しかし、現在のスポーツ界では、軍隊的な厳しい鍛錬を通して、理不尽な命令にも従う従順性を選手に刷り込んでしまっているように思う。高校野球も、今夏、金足農業高校の「投手の玉砕」が問題となり、橋下徹氏などが、その軍事教練的運営を批判している。
健全な肉体の完成度の評価は、現状では試合で勝つことだろう。組織が大きくなり、また国家の威厳や、大学の広報にスポーツが活用されている今日、ともすれば、勝ちさえすればいいという安易な発想が支配的となる。結果としてスポーツマンシップにもとる不正を行ったり、勝者であるなら、後輩への威圧や私生活での振る舞いを問わないような風潮に結びつく。
また、相撲界の閉鎖的組織に代表されるように、過去の勝負の勝者で組織を固める日本のやり方が多くの問題をはらんでいる。
過去の実績が権威の源となり、権威者を頂点とする閉鎖的組織が形成され、組織の理論が世間の常識から離れたことに気づかず、結局、精神の健全性はどこかへ追いやられてしまう。審査にあたり金銭を授受した剣道連盟の審査員たちは最高位の八段範士だそうだが、それが武士道精神に反しているとは思わなかったのだろうか。
そもそもスポーツとは何かを考える必要がある
違法カジノ店での賭博の不祥事で活動を制限されたバトミントンの桃田賢斗選手が8月の世界選手権(中国・南京)で日本男子初となる金メダルを取り復活した。デイリースポーツ(7月25日付)のインタビューによれば、謹慎中に、所属するNTT東日本の人事総務課で事務作業に携わり、心を入れ替えたという。入社以来、遠征に行っていて、会社がどんな仕事をしているか知らず、謹慎を経て会社や周囲への感謝の気持ちが強くなったと語った。
桃田選手は、今回のアジア大会で出場したシングルスでは惜しくも3回戦で敗れたが、東京オリンピックでの活躍が期待されている。
スポーツは力で勝つものだ。しかし、そこには公正なルールが必要だし、そもそもスポーツが成り立つのはそれを支える多くの人々がいるからだ。そうしたことを学ぶのがスポーツのはずなのだが、そうはなっていない現状は嘆かわしい。
そもそもスポーツとは何なのか。2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前にもう一度考える必要がある。