「デザイン思考」がテクノロジー活用を加速

では、SAPは、どのようにスポーツに役立つソリューションを生み出しているのか。濱本氏がキーワードとして挙げたのがスポーツビジネス創造塾のテーマでもある「デザインシンキング(デザイン思考)」だ。SAPは、「SAP Tennis Analytics」というシステムを、デザインシンキングの手法を用いてWTA(女子テニス協会)と一緒に開発した。このシステムは、競技中に収集されたさまざまなデータをコーチの手元にあるタブレット端末でリアルタイムに閲覧できるようにする。WTAのツアーでは試合中にコーチが選手にアドバイスする「オンコートコーチング」というルールが導入され、このデータは競技の質の向上に貢献している。

濱本 「一般企業向けのソフトウエアの開発では、どちらかというと『ロジカルシンキング』で物事を考えます。これは、特定のオペレーションの効率化や、継続的な改善に適した手法です。これに対してデザインシンキングは、イノベーションを起こすことに適しています。WTAやサッカー・ドイツ代表との事例では、デザインシンキングのワークショップを繰り返し、アジャイル(常時改善を繰り返し、より良い成果物を生み出す開発方法)的に開発を進めました」

現在のビジネスをより研ぎ澄ましていく上ではロジカルシンキングが、そのビジネスに革新的な価値をもたらすためにはデザインシンキングが適しているというわけだ。SAPでは、ワークショップのファシリテーターを務められるレベルでデザインシンキングを体得することが社員に求められているという。

さまざまな面で成熟し、イノベーションが求められる日本社会で、デザインシンキングはますます重要になり、注目を集めている。ただし、濱本氏は日本のスポーツ業界では、必ずしもデザインシンキングが適している状況ばかりではないとも指摘した。

濱本 「日本のスポーツ業界では、デザインシンキングの手法を使うべきか、それともロジカルシンキングで進めるべきか、最初にしっかりと判断する必要があると感じています。必ずしも現在の業務が洗練され、成熟しているとは限らないためです。まずは改善から始めた方がいい場合もある。必要に応じて2つの思考方法を使い分けながら支援しています」

テクノロジーは「不満のタネ」を解消する

講演の終盤、濱本氏は「スポーツ×テクノロジー」に関するもう1つのキーメッセージを紹介した。それは「デジタルは不満のタネを解消する」というものだ。

例えば、スマートフォンアプリでファンにスタジアム周辺の混雑状況を伝えたり、フードコートの行列の長さを伝えたり、あるいは混雑緩和のために試合後にイベントを実施したりする。これらは、アリアンツ・アレーナで実際に提供しているファンエンゲージメントを高めるための施策である。SAPが開発したシステムを用い、機械学習による予測分析で実現している。こうしたファンの不満のタネを解消する取り組みが、スポーツ分野でのテクノロジー活用で重要なポイントという。

濱本 「スポーツ観戦では、スポーツそのものに対する不満はそれほど多くありません。どちらかというと、スポーツの周辺にある物事が不満のタネになるのです。象徴的な例は混雑です。スタジアムが満員になるとスポーツ自体の体験価値は大幅に向上しますが、混雑は不満につながります。例えば、帰宅用のシャトルバスを増量するなど、ハードで混雑を緩和しようとしても限界がある。デジタルを活用することで混雑をコントロールし、不満のタネを解消していけるのです」

SAPが取り組むさまざまな先進的な事例を紹介した濱本氏は、「こうした取り組みは、決して1社だけでできるものではありません。我々は多くのステークホルダーと協力しながら、今日紹介したようなソリューションを提供しています」と話す。例えば、スタジアム・アリーナにおける取り組みでは管理運営者や建設企業、通信関連企業との協働が欠かせない。スポーツ分野でITが活用される幅は日々広がっている。だからこそ、多くの業界・企業にチャンスがあるといえるだろう。